確認しないと不安になる病気。強迫性障害だったけど克服した話。
こんにちは、りっこです。
実は私、中学生から高校生くらいの10代のころ、強迫性障害の確認型だったと思われます。
夜寝る時に、コンロの火は消えているか、ガスの元栓はちゃんとしまっているか、
こたつや電気は消えているか、冷蔵庫は閉まっているか…
今から思えば「どうしてそんなことが気になるの?」
と思える事を、ひたすら、それこそ病的に気にして眠れない毎日を過ごしていました…。
今回は、確認しないと不安で仕方なかったあの時のことや、どうして確認しなくても平気になったかを振り返ってみたいと思います。
確認しないと不安!!
10年くらい前の私は、本当に「確認しないと不安」でした。
誰にでも生きていく中で「不安」や「心配事」は付き物だと思います。
でも、当時の私は日常生活に支障をきたすレベルで、不安なこと、心配なことがたくさんあったのです。
普段はふつうに生活しているのに、寝る前やふとした時に不安で不安で仕方がなくなります。
ちょっと思い出して、何が心配で何が恐怖だったのか書いてみますね。
ガスコンロの火が消えているか心配で何度も確認してしまう。
とにかく不安でした。ガスコンロが。
最後にガスコンロを使ったのが自分じゃないとしてもコンロの火が消えているかどうかは、当時の私にとってはとても大事な問題でした。
寝る前に確認して、そのあと自分の部屋のベッドに入ります。
でもなんだかガスコンロがちゃんと消えていないのでは、と不安になり何度も確認してしまいます。
もしもガスコンロがちゃんと消えていなければ…、寝ている間に家が燃えてみんな死んでしまうのではないか?
と考えると不安で仕方がなかったのです。
そのたびに、「確認しなければやばい!」という思いに突き動かされて何度も確認してしまっていました。
そもそもガスの元栓が気になって確認してしまう。
ガスコンロの火だけにとどまらず、ガスの元栓からガスが漏れていないかも気になっていました。
特に冬ガスストーブを使っている時期。
ストーブをつないでいるガスの栓の部分がなんらかの要因で外れてしまっていて、
ガスが漏れてしまっていないだろうか?と気になるのです。
もし、ガスが漏れていたら、気づかない間に家族全員死んでしまう…!( ;∀;)
と、常に不安だったのです。
冷蔵庫の扉が閉まっているか不安で何度も確認してしまう
冷蔵庫の扉が閉め切れていないのではないかと心配していました。
冷蔵庫の扉を何度も強く押して確認。
自分が最後に使ったわけじゃなくても心配でした。
たとえ冷蔵庫が空きっぱなしで一晩放置したとしても、
死んだりしないし、電気代がかかり、中の食べ物が無駄になるだけだから、大丈夫だよ、と自分に言い聞かせてもすごくすごく不安でした。
何度も確認した中で、冷蔵庫の扉が空きっぱなしだったことは多分なかったと思います。
家の鍵がかかってないか心配で確認してしまう
なぜか、外出するときは平気だったのですが、
寝るときの戸締りがとても気になっていました。
家の玄関の鍵、窓の鍵、家中確認して回ってからベッドに入り、
それでも不安で何度も確認してしまっていました。
もしも鍵が開いていたら、万が一寝ている間に泥棒や悪い人が入ってきたら…
家中のお金が盗まれて、最悪の場合、強盗に殺されてしまうのではないか…と不安でした。
水道がちゃんと締まっているか気になって確認
ちゃんと水道の蛇口が閉まっているかも気になっていました。
これもたとえちょっと水が出ていたとしても死んだりしないから大丈夫だよ、と言い聞かせても、なぜか不安で確認しちゃってたんですよね。
「水道の水が出たままだったら、明日、洗面台や台所がびしょびしょになって、
家の修繕が必要になって、すごくお金がかかってしまうかもしれない…」
と最悪なケースを考えるのが得意だったようです。今から思えば「ぼのぼのかよっ!」と突っ込んでやりたくなります。
【別件?】部屋が散らかっているのが気になる
私の実家はお世辞にも片付いている家ではありませんでした。
私が特に不安で嫌だったのは、床にチラシ類が散らばっていることです。
新聞の折り込みチラシ、郵便受けに入っていたチラシ、カタログ、雑誌、テレビガイド、買い物でもらったビニール袋…などなど、
とにかく床に散らばっているのが気になって仕方ありませんでした。
これもとくに、「寝る前」がとにかく不安で、
寝る前にリビングをとにかく片付けるようにしていました。
なぜか、
「この散らばった紙に母が足を滑らせてケガをしてしまうのではないか…」
という思いが常に会ったのです。
なぜでしょう。自分や姉や父ではなくて母。
確認しなくても不安じゃなくなった今でもこの気持ちはあります。
結婚し実家を離れた今でも、ふと
「あぁ、今頃実家はちゃんと片付いているだろうか?
家の中のチラシや出しっぱなしのビニール袋に滑ってお母さんが転んだりしないだろうか…」
などと思いをはせて、心配でどうしようもなくなる時があります。
ちなみに、今よりもその不安が強かった高校生の頃。
この「チラシが床に散らばっている状況」が気になりすぎて、
家の階段を登りながら、階段の下に散らばっているチラシが気になり、片付けようとUターンした瞬間、
階段から足を滑らせ、骨折したことがあります。(-_-;)
この「不安」が間接的な原因で私の「運動神経のなさ」が直接の原因だと思っています。
もはや、日常生活にも支障をきたすレベルでした。
確認しないと不安なのが異常だとは思っていた
当時、私自身
「こんなに色々なものを確認しないと不安なのはたぶん正常なことではない…」
という事は薄々気づいていました。
恥ずかしいことだとも思っていました。
だからこそ、誰にも相談できずにいました。
寝る前の確認行動も、
2階の部屋で眠りに行ったはずの私が階段を下りてリビングの色々なものを確認するのに、
「のどが渇いて…」
など親に言い訳をしつつ確認していました。
異常だとは思っていても、いや、思っていたからこそ、誰にも相談はできませんでした。
まして、自分から「精神科へかかりたい」とは言えるはずもありませんでした。
強迫性障害「確認しないと不安」をどうやって克服した?
そもそも、この自分が「確認しないと不安でしょうがない」症状が、
強迫性障害という名前のついたものであると知ったのも、
私の「確認行動」が落ち着いてしばらくたってからでした。
そこで「あぁ、私、ちょっとおかしかったのね」とストンと思った…という感じです。
もしもあの時、自分が「強迫性障害」だと認識していれば病院にかかったかもしれません。
でも高校生で思春期真っただ中だった私はやっぱり親には相談できず、何も変わらなかったかもしれません。
「確認しないと不安」だった私は、
高校生活の中、部活や受験のことなど、他の悩みや夢中になることが増えるにつれて少しずつ落ち着いてきました。
でも、完全に「確認なんか全然しなくてもOK」となったわけではありません。
毎日「確認しないと不安」という状況はいつの間にか自然消滅し、
でも時折「確認しなくて不安」になったのです。
そんな時は、私は1回だけ自分に確認をすることを許します。
そして、一度確認をした時に、ツイッターに
「ガスの元栓もちゃんと確認した!おやすみ!」
とつぶやくのです。
そしてベッドに戻り、また確認したくなったらその自分のツイートを見て心を落ち着ける…。
それで何度も確認するのを凌いでました。
「確認しないと不安」状態だった私は、
確認をしても、確認をした自分が信じられませんでした。
「確認が足りなかったのではないか?」
「確認した、という事実はもはや夢では?」
と考えてしまっていたのです。
なので、ツイッターでつぶやくことによって
「確認したという事実は夢ではないぞ」と自分に言い聞かせていたとでもいいますか…。
それが効果があったのか、それとも生活の中で自然と改善できていったのかはわかりませんが、
今では「確認したい」という衝動が起こる回数は減りました。
確認しないと不安だった私の今。
10代のころ、確認しなくて不安だった私ですが、今も心配症な性格は変わりません。
今でも時折、「確認したい!不安だ!心配だ!」と思うことはままあります。
でも「確認したい!」と思っても、1回だけ確認するにとどめることができています。
むしろ、「1回確認する」というのは良いことではないかと思えています。「ちゃんと確認できる」これは慎重な私の長所なのではないか?
と思うようにしています。
寝る前に不安になることもありますし、
職場でも「あれ?鍵閉めたっけ?」と思うことがたまにあります。
そんな時は1回だけ確認。
1回確認して、確認した自分を信じることができるようになりました。
ふいに、家の事、母のことが心配になっても、
「まあ、考えたってしょうがないっ!」
と自分に言い聞かせ、本を読んだり、漫画を読んだり、テレビを見たり、気を紛らわすようにして、やり過ごしています。
時間が解決してくれたのかもしれません。
あの時、ちゃんと病院に行っていればもっと早く
「確認しないと心配」という辛い時期を早く乗り越えられたかもしれない…とも思います。
また、例えば自分に子供が産まれたら、もしかして今まで母に向いていた心配が、
自分の子供に行き、また異常なくらい心配症な自分が出てきてしまうかもしれません。
生きていくって心配で不安なことばかり…!
また同じように「不安」から逃れられないくらい辛くなったら、今度はちゃんと病院にかかろう、と思ってます。
でもとりあえず今は「確認しないと不安」な自分が顔を出すことなく平穏に過ごせています。感謝。
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